今週のお題「本屋さん」
皆さんは本屋さんに対してどんな思い出を持っていますか?今ではネット書店やデジタル書籍が主流となり、実店舗の本屋さんの数も減少している現在、昔ながらの本屋さんの持つ特別な雰囲気や思い出について振り返ってみたいと思います。特に10代の多感な時期に本屋さんが持っていた意味は、単なる「本を買う場所」以上のものだったように思います。高校時代の本屋さんにまつわる忘れられない思い出を、ここに綴っていきたいと思います。
待ち合わせスポットとしての本屋さん
高校時代、学校の近くには「明林堂書店」という大きな本屋さんがありました。通学で使用していたバス亭から徒歩3分ほどの場所にあり、この書店は当時の私たちにとって特別な場所でした。
この本屋さんは、友達との待ち合わせ場所として良く利用されていました。「じゃぁ帰りに明林堂で」というのが、私たちの間では定番の約束事でした。待ち合わせ場所として良かったた理由はいくつかあります。
まず、雨の日でも安心して待つことができるという点。当時高校生の間では携帯電話が多く普及していない時代だったため、約束の時間に遅れる友人を待つのは時に辛いものでした。ですが、本屋さんなら本を眺めながら快適に時間を潰すことができました。そして何より「本を見ている」という行為が待っている間の自然な佇まいを提供してくれたことも大きかったと思います。
予測不能な出会いがある場所
私が高校生だった頃は、一般家庭へのインターネット普及が進んでいた時期でした。今のようにスマホでレビューをチェックしてから本を買うという文化はまだ主流ではありませんでした。本に関しては雑誌の書評や友達の口コミ、あるいは本屋さんでの立ち読みが、本選びの主な判断材料だったのです。
特に印象に残っているのは、全く知らない漫画との出会いです。明林堂の漫画コーナーで本を見ていると、表紙のデザインに惹かれた一冊の漫画を手に取りました。『BECK』というタイトルの、聞いたこともない作品でした。音楽バンドを題材にした漫画で、絵柄も独特で、当時人気だった『NARUTO』や『ONE PIECE』のような主流のマンガとは一線を画すスタイルでしたが、なぜか惹かれるものがありました。
財布の中の限られたお小遣いで買うには勇気のいる選択でしたが、直感を信じて購入しました。その夜、自宅で読み始めた漫画は、想像以上の面白さでした。主人公の少年が音楽を通じて成長していく姿や、リアルに描かれるバンド活動、そして予測不能なストーリー展開に、一気に引き込まれました。
もし今の時代だったら、事前にレビューを調べ、「評価が高いから」という理由で購入していたかもしれません。しかし当時は、自分の直感だけを頼りに選んだ作品が想像以上に面白かったときの喜びは、言葉では表現できないほど大きいものでした。それは一種の宝探しのような高揚感があり、「自分だけの発見」という特別な感覚をもたらしてくれました。
思いがけない出会いの場所
高校生活の中で、本屋さんは意外な出会いの場所でもありました。特に忘れられないのは、ある冬の夜のことです。
試験前のある日、遅くまで開いている明林堂で参考書を探していた私は、文学コーナーで思いがけない人物を見かけました。同じクラスの女子生徒、佐藤さん(仮名)が私服姿で本を手に取っていたのです。普段は制服姿しか見ることのない彼女の私服姿を見たのは初めてのことでした。
彼女は学校ではあまり目立つタイプではなく、おとなしい印象の女子でした。しかし、その日の彼女はシンプルながらも洗練された服装で、普段とはどこか違う雰囲気を漂わせていました。何より印象的だったのは、彼女が手に取っていた本が、私も好きな村上春樹の本だったことです。
「あ、佐藤さん」と声をかけると、彼女は少し驚いた様子でこちらを見ました。学校とは違う場所での突然の遭遇に、お互いどこか照れくさい気持ちになりました。「村上春樹、好きなの?」と尋ねると、彼女は少し恥ずかしそうに頷きました。それまであまり話したことのなかった彼女と、その日初めて文学の話をしたのです。
学校という枠組みの中では見えなかった彼女の一面を知ることができた瞬間でした。何気ない本屋での出会いが、クラスメイトに対する印象を大きく変え、新たな交流のきっかけとなったのです。
私服姿の同級生との偶然の遭遇は、高校生特有の「ドキドキ」と「照れくささ」が入り混じった、言葉では表現しづらい微妙な感情を呼び起こしました。それは学校という「公」の場ではなく、休日という「私」の時間に起きた出来事だからこその特別な感覚だったのかもしれません。
知識との出会いの場所
本屋さんは単に漫画や小説との出会いだけでなく、自分の知的好奇心を広げてくれる場所でもありました。明林堂には学術書コーナーがあり、高校の授業では触れることのない様々な分野の本が並んでいました。
心理学、哲学、歴史、芸術、科学…ジャンルを問わず、立ち読みをしながら多くの知識に触れることができました。特に印象に残っているのは、心理学コーナーで見つけたエーリッヒ・フロムの『愛するということ』です。タイトルに惹かれて手に取ったこの本は、高校生だった私の恋愛観に大きな影響を与えました。
「愛とは何か」という根源的な問いに対する哲学的考察は、単純な恋愛感情しか知らなかった当時の私に、より深い視点を与えてくれました。この本との出会いがなければ、私の人生観も少し違ったものになっていたかもしれません。
本屋さんが教えてくれたこと
振り返れば、高校時代の本屋さんは単なる「本を買う場所」ではなく、多様な経験と出会いをもたらしてくれる特別な空間でした。友人との待ち合わせ、未知の本との出会い、クラスメイトとの思いがけない交流、そして新たな知識との接点…これらすべての経験が、私の高校時代を豊かなものにしてくれました。
デジタル化が進む現代では、本を購入する行為そのものが変化しています。スマートフォンで数タップするだけで、どんな本でも手に入れることができる便利さがある一方で、実店舗の本屋さんでしか得られない偶然の出会いや発見の喜びは、少しずつ失われているのかもしれません。
おわりに
本屋さんという空間は、単に商品としての本を販売する場所ではなく、人々の思い出や感情、知的好奇心が交差する特別な場所でした。当時の本屋さんの思い出は、今でも私の中で鮮明に残っています。
デジタル化が進み、情報へのアクセスが容易になった現代だからこそ、偶然の出会いや予測不能な発見をもたらしてくれる本屋さんの存在価値は、むしろ高まっているのではないでしょうか。
皆さんも、久しぶりに地元の本屋さんを訪れてみてはいかがでしょうか。そこには、デジタルでは得られない特別な体験が待っているかもしれません。そして、もしかしたら高校生だった私のように、一生の思い出となる瞬間に出会えるかもしれません。