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少林寺拳法VS小川先生!〜ゲンコツ対決から始まった忘れられない師弟関係〜

今週のお題「思い出の先生」

皆さんには思い出の先生っていますか?厳しかった先生、優しかった先生、変わった先生…学生時代を振り返ると、様々な先生との思い出が蘇りますよね。今日は私の心に刻まれた「小川先生」との思い出をお話しします。

小学4年生と定年間近の小川先生

私が小学4年生の時、担任だった小川先生。彼女は私のクラスを最後に定年を迎える女性教師でした。当時の私からすれば「おばあちゃん先生」という印象でしたが、今思えば50代後半くらいだったのかな?

小川先生といえば、まず思い浮かぶのが「ゲンコツ」です。そう、今では考えられないですが、当時はまだ体罰的なものが残っていた時代。宿題を忘れたり、授業中におしゃべりしたりすると容赦なくゲンコツが飛んできました。

少林寺拳法とゲンコツの攻防戦

ここで問題発生。私、当時少林寺拳法を習っていたんです。これが曲者。小川先生がゲンコツをしようとすると、体が勝手に反応!「パーン!」と反射的に手で払ってしまうんですよ。

「じっとしてなさい!!」

小川先生の怒声が教室に響き渡ります。何度言われたことか…。でもね、体が勝手に動くんですよ。武道を習っている子どもあるある、かもしれません。

ゲンコツって叩く方も痛いらしいですね。小川先生の場合は、ゲンコツの痛みに加えて、私に手を払われた痛みもプラスされていたはず。今になって「ごめんなさい」と心から思います。当時の私は本当に手に負えない生徒だったんでしょうね。

家庭訪問で語られた「問題児」の実態

小学校では定期的に家庭訪問がありましたよね。小川先生が我が家に来た時、母と先生の会話を子供ながらにこっそり聞いていました。内容は…まぁ、あまり良くなかったです。

「宿題をまったくしてきません」 「忘れ物が多いです」 「クラスメイトとほとんど会話せず、一人で過ごしています」

今思えば、完全に「問題児」扱いされていたわけです。そりゃそうですよね。宿題はしない、忘れ物は多い、友達とも話さない、そして叱ろうとするとゲンコツを払う。小川先生にとっては、本当に手を焼く生徒だったことでしょう。

正直に言うと、当時の私も小川先生のことは好きになれませんでした。厳しい、怖い、私のことを理解してくれない…そんな気持ちでいっぱいでした。

スーパーでの偶然の出会い

ある日のこと。母に買い物を頼まれて、近所のスーパーに行きました。「ニンジンとジャガイモを買ってきて」と言われたのですが、どこにあるのか分からず、迷子になっていました。

あちこち探し回っていると、突然声をかけられました。

「あら、〇〇ちゃん。どうしたの?」

振り返ると、なんと小川先生!学校以外で先生に会うと、なんだか不思議な感じがしますよね。ちょっと恥ずかしくもあり、どきどきもします。

「あの、ニンジンとジャガイモを探しているんですけど…見つからなくて」

すると小川先生は、にっこり笑って言いました。

「じゃあ、一緒に探しましょうか」

そう言って、小川先生は私と一緒に野菜コーナーを回ってくれたんです。学校では見たことのない優しい表情で、ニンジンとジャガイモの見分け方や選び方まで教えてくれました。

「新鮮なニンジンは、ヘタの部分が緑色でピンとしているものよ」 「ジャガイモは傷がなくて、芽が出ていないものを選ぶといいわね」

たかが野菜選びですが、小川先生のそんな一面を見て、少し見方が変わりました。「先生って、学校以外ではこんなに優しいんだ…」と。

「先生になりたい」という夢

小学4年生の時、「将来の夢」について作文を書く授業がありました。正直、特にこれといって夢はなかったのですが、何を思ったのか「先生になりたい」と書いたんです。今思えば、反抗心と憧れが入り混じった複雑な気持ちだったのかもしれません。

その作文を読んだ小川先生の表情は、今でもはっきりと覚えています。厳しい表情がパッと明るくなって、とても嬉しそうでした。「〇〇ちゃんが先生になりたいなんて、素敵ね」と言われた時の温かい目線。

その瞬間、「あ、少し好きになれるかも」と思ったんです。

思い出は時間が経つほど輝きを増す

結局、私は先生にはなりませんでした。けれど、小川先生との思い出は、時間が経つほどに鮮明になっていきます。

あの頃は理解できなかった小川先生の厳しさも、今となっては「私のことを真剣に考えてくれていたんだな」と思えるようになりました。宿題をさせようとしたのも、クラスに馴染ませようとしたのも、すべては私のためだったんですね。

ゲンコツを払ってしまった私を、それでも諦めずに指導し続けてくれた小川先生。スーパーで偶然会った時に、嫌な顔一つせずに野菜選びを手伝ってくれた小川先生。「先生になりたい」という幼い作文に、心から喜んでくれた小川先生。

今、教育現場からは体罰はなくなりましたし、ゲンコツなんて言葉も死語になりつつあります。時代は変わり、教育方法も変わりました。でも、生徒を思う先生の気持ちは、きっと変わらないんだろうなと思います。

今だから伝えたい「ありがとう」

小川先生、今どうしているでしょうか。定年退職後、どんな生活を送っているのでしょう。元気でいらっしゃるといいなぁ。もし今、小川先生に会えるなら、「ありがとうございました」と伝えたいです。

「あのゲンコツ払いごめんなさい。でも、先生のおかげで忘れられない思い出ができました」って。

思い出の先生って、必ずしも「大好きだった先生」だけじゃないんですよね。時には反発し合い、理解し合えなかった先生との思い出も、大人になった今では大切な宝物になっています。

皆さんも、学生時代を振り返ってみてください。きっと忘れられない先生との思い出が、心のどこかにあるはずです。それが良い思い出でも、複雑な思い出でも、あなたの成長の一部になっているんですから。

小川先生、どこかでこの文章を読んでいたら、あの時のゲンコツ払いのことを許してくださいね。そして、本当にありがとうございました。あなたは私の「思い出の先生」です。

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