思考のスイッチ ~考えるきっかけを作る~

― ビジネスの現場に“気づき”を届けるブログ ―

※記事内で紹介している商品・サービスには、PRを含む場合があります。

子供の頃の焼肉の思い出

今週のお題「感動するほどおいしかったもの」

子供の頃の私にとって、「感動するほどおいしかったもの」と言えば、間違いなく家族で月に一度だけ行くことができた牛角での焼肉でした。

特別な日の輝き

毎月一回の「焼肉の日」は、カレンダーに赤い丸で囲まれた特別な日でした。平日の夕食は質素で、野菜中心の健康的なメニューが並ぶことがほとんど。お財布事情が厳しかった我が家では、肉はごく少量でしたから、野菜炒めの中に隠れた小さな肉片を見つけるのはまるで宝探しのようでした。

今思えば、あの「焼肉の日」は、父の給料日と見事に一致していました。子供だった私は気づきませんでしたが、父は給料が入ったその日に、家族への感謝と労いを込めて、限られた収入の中から焼肉の予算を捻出していたのでしょう。月末になると「そろそろ焼肉の日だね」と父が嬉しそうに言っていたのは、仕事の苦労を忘れられる特別な日だったからかもしれません。

だからこそ、月に一度の焼肉の日は特別な輝きを放っていました。「今日は焼肉だよ!」という父の声で目が覚めると、その日は朝からウキウキして学校に行ったものです。授業中も焼肉のことを考えて集中できなかったことを、今となっては懐かしく思い出します。

焼肉の日の昼食は、いつも意識して少なめにしていました。「おなかいっぱいにしてしまうと、焼肉が入らなくなる!」と考えた私は、給食も少し残すほどの覚悟でした(もちろん、先生には内緒です)。家に帰ってからも、おやつは我慢。夕方になるまでは、いつも以上に遊び!不必要に動き!お腹を減らそうと必死でした。「空腹は最高のソースである」という言葉を、大人になってから知ったときは、子供の頃の自分の行動に妙に納得したものです。

我慢の先にある幸せ

ねぎ牛タン塩を初めて食べた時の感動は今でも鮮明に覚えています。薄切りの牛タンの食感とねぎの甘さ、そして絶妙な塩加減。家では決して味わえない贅沢な味でした。ガリバタカルビの香ばしさとにんにくハラミのジューシーさは、子供心に「これが天国の味か」と思わせるほどでした。

母は賢く注文していました。ねぎ牛タン塩を一つ頼み、その後はねぎなしの牛タン塩やとんタン塩を追加して、余ったねぎを再利用することもよくありました。「無駄なく食べることが大事よ!」という母の教えは、こんなところにも表れていたのです。

チョレギサラダのシャキシャキとした食感や、締めの梅しそ冷麺の爽やかな酸味も、子供だった私を虜にしました。

日常の我慢があったからこその喜び

平日の質素な食事があったからこそ、月に一度の焼肉の価値は計り知れないものでした。野菜嫌いだった私は、焼肉に行くために平日の小松菜のおひたしやほうれん草の胡麻和えを必死で食べていました。

「今日の野菜を残したら、焼肉は食べられないよ」というシンプルな脅しは驚くほど効果がありました。子供の私にとって、焼肉は我慢を支える希望の光だったのです。

心に残る味の記憶

今でこそ大人になり、いつでも焼肉を食べられるようになりましたが、あの子供の頃の月に一度の焼肉ほど感動的な味はありません。家族と囲む焼肉の鉄板、炭火で焼ける肉のジュージューという音、特別な日の喜びと期待。それらすべてが一体となって「感動するほどおいしかったもの」を作り上げていたのです。

高級店の焼肉も確かに美味しいですが、子供の頃に感じた牛角での感動には勝てません。今でも牛角のねぎ牛タン塩を食べるたびに、あの日の喜びと家族の温かさを思い出します。そして「これがあるから頑張れた」という子供の頃の気持ちが、ふとよみがえるのです。

忘れられないのは、食後のエピソードです。焼肉屋のデザートメニューを見せられても、「デザートは高いからダメ!」と母に即座に却下されたことは毎回のことでした。しかし、帰り道に必ず寄るコンビニで、母は「さあ、好きなガリガリ君を選んでおいで」と言ってくれたのです。その時の私の喜びといったら!ガリガリ君を選ぶ瞬間は、焼肉に次ぐ二つ目の幸せでした。牛角を出た後の夜の帰り道、ガリガリ君を食べながら歩く家族団欒の風景は、今でも鮮明に思い出せます。

感動するほどおいしいものには、単なる味覚の満足だけでなく、それを取り巻く思い出や感情が欠かせないのだと、大人になった今だからこそわかります。時には節約も必要だけれど、その中で知恵を絞って見つける小さな幸せが、実は一番大切な思い出になるのかもしれません。